| [名称] | 許田の手水(きょだのてみず) |
| [場所] | 沖縄県名護市許田122 |
| [言い伝え・概要] | 昭和48年(1973)に【市の記念物(史跡)】に指定されました。許田の手水は、集落の北はずれの丘のふもとにある樋川で、この水は昔から村人の生活用水として使われていました。 現在では湖辺底と許田の間は許田橋がかかり、さらに自動車道の架橋も設置され、交通の便が大変よくなっていますが、その昔は、許田への渡し船も橋もなく、当時の旅人は、許田へ行くのに福地や古知屋又の内海沿いに遠く迂回しなければいけませんでした。いつの頃か、ひとりの侍がこの地を過ぎ、樋川でのどの乾きを潤そうとしました。そこでたまたま年頃の娘が清水を汲んでいるところに出会い、侍は水を所望しました。娘はもとめられるがままに両手に清水を汲んで勧めたところ、これが縁となって娘は村から連れ去られ、村人をなげかせたという話が伝わっています。その手水の情緒をめぐっては、文苑の取材として文章や詩歌に文飾され、平敷屋朝敏の組踊り「手水の縁」が創作されています。「手水の縁」は組踊りの一つで、平敷屋朝敏の作といわれています。現存する組踊49種中、唯一の恋愛物で、創作年代は不明です。この組踊りを創作するにあたっては、玉城朝薫の五番(二童敵討、執心鐘入、銘苅子、孝行の巻、女物狂)からの影響が指摘されています。内容は、主人公山戸と玉津の一途な愛と、二人をとりまく登場人物の思いやりでその愛を結実させるというものとなっています。物語展開の新鮮さと音楽の使い方の巧みさが、この組踊りを不朽の名作に仕上げています。他の組踊りがすべて忠孝を力説するなかで、若き男女の愛を扱った作品として高く評価されています。 許田の手水は、これ以外にも、複数の琉歌が伝わっている、古くから多くの人々に親しまれてきた名泉です。 |
| [保全活動] | |
| [Google クチコミ] | こちら |
出典 名護博物館



