[名称] | 醴泉(れいせん) |
[場所] | 山口県宇部市棚井 |
[言い伝え・概要] | 船木の山田と厚東の棚井を結ぶ道は、江戸時代に毛利藩の勘場(今の役所)が設置されていた船木と厚東や宇部方面を結ぶ主要幹線で、勘場に集荷された米などの農作物を棚井の厚東川船着き場へ運送する流通経路でもありました。峠越えの険しい山道で、人馬の往来が困難であったため、これを見かねた千林尼が自ら托鉢して浄財を集め、慶応年間(1866年前後)に、難所を選んで石を敷き詰め、現代の舗装道路ともいえる石畳道を作りました。
現在棚井と船木山田間4キロメートルに5カ所約200メートルに石畳が残っています(宇部市側は4カ所約105メートル)。道筋には、「お駒堤」や清らかな水が湧く「醴泉」があり、船木との境の峠付近には「道祖神」が祀られています。 千林尼は西岐波大沢の生まれで、二十歳前後で仏門に入り、1840年(天保11年)頃常盤湖のほとりに庵を構え、1857年(安政4年)には船木逢坂の瑞松庵末寺観音堂の堂主となり、1869年(明治2年)60歳で亡くなりました。他にも逢坂有帆間の指月道に石畳を敷き、厚狭や宇部で木橋を架けるなど民衆の利便をはかりました。 【醴泉】 醴泉とは、甘酒のようなおいしい、清らかな水で、これを飲めば持病が治るといわれている。 昔からこの泉は、清冽(きよくつめたいこと)な水が、こんこんと湧き出て絶えたことがない。この峠道を上下する人々は、必ずこの水でのどをうるおしたという。 現在の宇部市では、数少ない名水の一つとして知られている。 (現地掲示板より) |
[保全活動] | 年2回程度の清掃活動等 |
[Google クチコミ] |
出典 宇部市