【明智光秀 産湯の井戸】(岐阜県の水場)山県市中洞 生き延びた明智光秀が諸国遍歴をして 亡くなり戻った故郷の桔梗塚にある井戸跡

[名称] 明智光秀 産湯の井戸
[場所] 岐阜県山県市中洞2258
[言い伝え・概要] 中洞古屋敷白山神社の一角に桔梗塚があり、高さ106cmの石塔と高さ112cmの五輪の塔が明智光秀公の墓と伝わっている。

古文書によれば、天正十年(1582年)に秀吉に討たれ死んだのは影武者荒木山城守行信とされ、光秀はその忠誠に深く感銘し、荒木の「荒」と、恩義を深く感じての「深」から荒深小五郎と名乗り西洞寺の林間に住んでいたという。その後慶長五年(1600年)関ヶ原の合戦に東軍に味方するため出発したが、途中の洪水で溺れ死んでしまい、山城守の子吉兵衛が死骸をこの地に持ち帰り埋葬したとされる。

墓への入り口付近に、「うぶ湯の井戸跡」という看板が立ち、史跡として見る事ができる。

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